つぶやきに勝手に答えてみる(16)

 黒ひげ危機一発ジェンガが写っている画像の左下にモノポリーがありますね。

 


一部の独自ルールを採用しているキャラクター物を除いてはカードの収支の金額や移動先はオリジナル版に準じています。

 


日本のボードゲームの最初期からあること、プレーヤー同士の対戦という要素が存在するためでしょう。

日本におけるボードゲームの歴史というのは絵双六を除けば比較的浅く、日本で初めて一般発売されたものは1953年にハナヤマが発売した「バンカース」です。
なお、モノポリーの発売が1965年、人生ゲームの発売が1968年です。
バンカースが浸透できなかったのはモノポリーの影響を受けて制作されたゲームであるものの、モノポリーの重要な要素である交渉を取り入れなかったことでしょう。
後発の人生ゲームは運の要素が強いですが、逆に言えば技量による差がないことからこれが世代を問わず遊べるということにつながっています。

 

 モノポリーでは特に理由は示されていませんので不明です。ゲームの性質上序盤だと理不尽、終盤だと札付きということになるでしょう。

 

 ゲームバランス的には4~5人が適正だと思います。

 

 

 この年は後にPSのDXモノポリーの監修を務めた野中俊一郎氏が2回目の日本チャンピオンになっています。

 

 囲碁や将棋でいう「ハメ手」に相当するものはモノポリーにも存在します。ただ、囲碁や将棋と異なるところは交渉が決裂しても損害はないという点です。

 

トップを他のプレーヤーが追撃するのはモノポリーの鉄則ですが、トップに対抗策がないかというとそうではなく、最下位のプレーヤーを助けてライバルを叩くという方法があります。
特に家が乱立しているという状況で、自分がメインのカラーグループ以外にブラウンやライトブルーを持っているというときに最下位のプレーヤーにこれらと交換して家を建てさせることでライバルの牽制へとなります。

 

 条件に関する点は若干異なりますが、百田郁夫氏へのインタビューで交渉はたくさんやって上手くまとめたほうがよいといった内容が語られていました。

1988年モノポリー世界チャンピオンのインタビュー書き起こし - MONOPOLY BLOG ―モノポリーブログ―

・インタビュー3が該当する部分です。

 

 1980年代末から1990年代前半あたりと思われます。
この頃将棋界でモノポリーが流行しており、「東公平将棋雑話」というブログのアーカイブ(https://web.archive.org/web/20090415182616/http://www.pat.hi-ho.ne.jp/~kouhei-higashi/zatuwa/shougizatuwa.htm)によると、谷山さんと棋士らでモノポリーをしたという記事が残っています。